2008年11月30日日曜日

2008年3月15日(土)「しんぶん赤旗」
戦時下の言論弾圧「横浜事件」再審

2008年3月15日(土)「しんぶん赤旗」
戦時下の言論弾圧「横浜事件」再審
判断避け裁判打ち切り
最高裁 元被告側の上告棄却

 太平洋戦争中の言論弾圧事件「横浜事件」で、治安維持法違反で有罪が確定した元被告五人(いずれも故人)の再審上告審判決が十四日、最高裁でありました。最高裁第二小法廷の今井功裁判長は、元被告側の上告を棄却。治安維持法の廃止と大赦を理由に、有罪無罪の判断をしないまま裁判を打ち切る「免訴」とした判決が確定します。

 免訴が確定するのは、元中央公論編集者の木村亨さん、元改造社社員小林英三郎さん、元古川電工社員由田浩さん、元日本製鉄社員高木健次郎さん、元南満州鉄道社員平舘利雄さん。

 再審で、元被告の遺族や弁護団は「無辜(むこ)の救済」という再審制度の理念にてらし、実体審理をつくしたうえで無罪とすべきと求めました。しかし、〇六年二月の一審横浜地裁は「免訴理由がある場合は、実体審理も有罪無罪の判断も許されない」とする四八年の最高裁大法廷の判例を踏襲し、免訴判決を言い渡しました。二審・東京高裁は「免訴判決に被告側は控訴できない」として控訴を棄却しました。

 同事件をめぐっては、拷問を加えた元特高警察官らが、戦後告発され、特別公務員暴行陵虐罪で有罪が確定しています。再審をきめた〇五年三月の東京高裁決定は、「元被告の自白は拷問によるもの」と認定し、「無罪を言い渡す新証拠がある」としていました。

 判決後、弁護団は「東京高裁決定と対比する時、刑事訴訟法の法技術的な論理に終始した本日の最高裁判決の不当性はあまりにも明らかだ」とする声明を発表しました。
「事件終わらず」
遺族ら会見

 最高裁判決を受けて十四日、横浜事件の元被告の遺族らは都内で記者会見し、心境を語り、最高裁の対応を批判しました。

 故平舘利雄さんの長女、道子さんは「日本の司法の頂点にある最高裁が、事件の事実と少しは向き合い、理にかなったことをいうかと思ったが技術論だった。木で鼻をくくったような結論を出したのは大変残念。治安維持法で苦しんだ人はたくさんいて、救済がなく放り出されている状態。それに一石を投じてほしかった」と語りました。

 「横浜事件とは何だったのか明らかにすることが願いでした。なに一つ事件は終わっていないといいたい」と語ったのは故木村亨さんの妻、まきさんです。「拷問が行われなかったら事実でない自白もなかったし、獄死者も出なかった。それに踏み込もうとしてくれなかった」と、目を赤くしながら話しました。

 故小林英三郎さんの長男、佳一郎さん(67)は「今年はおやじの十三回忌でいい報告ができると思ったが残念。司法はみずからの間違いを認めて、価値ある判断をすべきだった」と語りました。

 弁護団代表の環直彌弁護士は「再審決定の時に見せた裁判官の良心が、その後の公判では見ることができなかった。きょうの判決は弁護人の主張に一つも答えていない。(国民の)裁判を受ける権利を満たしていない判決だ」と批判しました。

 横浜事件 神奈川県特高警察が一九四二年七月、評論家の細川嘉六氏(戦後、日本共産党参院議員)が雑誌『改造』に執筆した論文を、共産主義の宣伝などとし、同氏が富山県で開いた宴会を「共産党の再建準備」などとでっち上げた事件。出席者ら六十人以上が逮捕され、特高警察の拷問などで四人が獄死。約半数が治安維持法違反で起訴され、有罪判決を受けました。

 元被告らは八六年から三次にわたって再審を請求。二〇〇三年四月、横浜地裁は再審開始を決定し、東京高裁の抗告審で〇五年三月、再審開始が確定しました。

 免訴 新旧の刑事訴訟法はともに(1)同じ犯罪について確定判決がある(2)犯罪後に刑が廃止された(3)大赦があった(4)時効が完成した―場合、有罪、無罪の判断をせず、裁判を打ち切る免訴判決を言い渡さなければならないと規定しています。
解説
形式的に法適用 司法の責任ふれず

 「横浜事件」は、希代の悪法といわれる治安維持法のもと、特高警察が拷問で自白をでっちあげ、司法も追認してつくりあげた大規模な言論弾圧・冤罪(えんざい)事件です。再審では、野蛮な天皇制警察の実態を明らかにするとともに、裁判所が自らの責任にどう向き合うのかが問われていました。

 弁護団の主張も無罪判決にとどまらず、「言論・表現・思想結社の自由に対する弾圧の凶器となった治安維持法の歴史、問題点は厳しく追及されなければならない」と、国による権力犯罪を正面から告発するものでした。

 それだけに、弁論も開かず、刑事訴訟法の規定を形式的にあてはめたかのような結論では、とうてい国民を納得させるものとはいえません。

 この事件では、権力犯罪の一端を裁判所自らも担いました。横浜地裁は敗戦後も、治安維持法が廃止されるまでの一九四五年八―九月、起訴された約三十人に対し、有罪判決を出し続けたばかりか、責任追及を恐れ裁判資料を焼却したのです。そして裁判資料がないことを理由に、二〇〇三年四月の再審開始決定までは再審請求を拒否し続けました。

 同事件をとおして、司法は元被告らの訴えに謙虚に耳を傾け、自らの過去を反省し、元被告らの求めた人権侵害の実態を明らかにすべきでした。

 権力による人権侵害、思想弾圧を検証し、明らかにすることは、決して過去の問題ではなく、今日的な意義があります。

 言論・表現の自由が保障された憲法下の今日でも、休日にビラを配っただけで逮捕、起訴され一審で有罪となった国公法弾圧堀越事件をはじめ、国公法弾圧世田谷事件、葛飾ビラ配布弾圧事件など、権力による言論の自由と民主主義に対する弾圧事件が相次いでいるからです。

 治安維持法によって日本共産党員をはじめ多くの人が弾圧された、そんな世の中を二度と許してはなりません。(阿曽隆)

2008年11月29日土曜日

「免訴」の壁を乗りこえて
ついに「実質無罪」決定

再審請求22年の歩みと今回の地裁決定
横浜事件・再審裁判を支援する会事務局 梅田正己

今回の「再審開始」決定の「歴史的意味」を確認するために、この22年間の歩みを振り返ってみました.
(「支援する会・会報 No.64 より要約 文責・サイト管理人)

虚構の犯罪と拷問

横浜事件は、「日本近代史上最大の言論弾圧事件」だった.

これにより、「中央公論」「改造」という二大総合雑誌が廃刊となり、64名が検挙されて、うち4名が獄死、さらに中央公論社、改造社会自体もつぶされてしまった.

検挙は、すべて治安維持法違反で行われたが、「犯罪事実」はどこにもなかった.

唯一存在したのは、国際政治学者の細川嘉六が「改造」1942年8、9月号に寄稿した論文「世界史の動向と日本」だけである.

この論文は、アジア諸民族の民族自決を訴えていた.

特別警察は、これを「共産主義宣伝の論文」として、発禁処分にした. さらに、細川が印税収入で親しい編集者らを郷里・富山県の泊(とまり)に招いておこなった宴会を「共産党再建準備会」と決めつけ、参加者・交友関係者を検挙していった.

戦時・思想弾圧下の日本で、共産党再建など考えられなかった.
しかし、神奈川県特高は、これを自白によって「実証」するために、横浜市内の各警察署で、激しい拷問を加えた.

ここから、「横浜事件」の呼称が生まれた. また、「自白の連鎖」が特徴の一つであった.

「記録がない」の壁

戦後まもなく、被害者33名は口述書をまとめ、特高警察官を告発した.

1952年、最高裁判決で3名の特高警察官が有罪となった.

1986年、国家秘密法案が国会に提出され、治安維持法の再来が危惧される中、横浜事件の被害者・遺族9名が、横浜地裁に再審を請求した.

再審請求に必要とされる「新証拠」は、1952年の最高裁判決だった. この請求に対し地裁判決は、一件記録の不存在を理由に棄却した. 終戦直後、日本の政府・軍は連合軍による責任追及を逃れるため、書類を焼却した. 書類がない以上、審理ができないというのが、棄却理由だった.

抗告した東京高裁も1988年、同じ理由で棄却、1991年の最高裁の棄却で第一次請求は終わった.

第二次は、「憶測」で棄却

第一次請求の請求人や弁護団は、予審終結決定と判決書がそろって残っている「改造」編集部員だった故小野康人氏の遺族(夫人と遺児)に請求人を引き受けてもらうという道を考えた.

こうして1994年、第二次再審請求が始まった.

「新証拠」は、「細川論文」である. というのは、小野氏の「犯罪事実」は、「細川論文」の掲載に賛同し、その校正をやったことだったが、判決書の証拠欄にはかんじんの細川論文が掲げられていなかったからである.

地裁は、次の理由で請求を棄却した.
  • 「犯罪事実」は、この論文に関係しているのだから、証拠欄には記載はないが、判決に当たっては「読んだはずである」
この裁判所の一方的憶測は、高裁から最高裁まで持ち越された.

第二次再審請求も、2000年7月棄却で終わった.

第三次で振り出しに戻る

この間、1998年には被害者の木村亨氏を中心に第三次再審請求が提起されていた.

申し立ての理由:
  1. 横浜事件の治安維持法による有罪判決は、終戦直後の法廷で下された
  2. 一方、日本は「民主化に対する一切の障害を除去すべし」の条件を含むポツダム宣言を受託して終戦を迎えた
  3. したがって宣言受託とともに弾圧法規である治安維持法は失効しており、失効した法律による裁判は無効
横浜地裁は、大石真・京大教授にこの「学説」の鑑定を依頼し、その「治安維持法失効説」にもとづいて、2003年4月、「再審開始」を決定した.

つづく東京高裁の控訴審でも、2005年3月、中川武隆裁判長は再審開始を決定した. ただし、ポツダム宣言による失効説は問題にならないと一蹴し、それよりも併せて提出されていた「拷問」の事実こそが再審開始の根拠となると判定した.

拷問による自白は、第一次再審申し立ての理由である. 
つまり、再審裁判は18年余を経て振り出しに戻ったことになる.
しかしこのとき、被害者たちの姿は、もはやこの世になかった.

免訴判決の欺瞞

ポツダム宣言による治安維持法失効説は、重要な問題を含んでいた.

失効した法律による裁判無効説は、事件の再審理はしないまま、法解釈だけで免訴(判決はなかったことにする!)に終わることが予想されたからである.

はたして、開始された横浜地裁の再審裁判では請求側の弁論を形だけ開いたものの、事件の中身には一歩も踏み込むことなく免訴判決を下した.

つづく東京高裁でも、さらに2008年3月の最高裁でも、判決は「免訴」に終わった.

特高がでっち上げた虚構の犯罪により、やっつけ裁判で下された有罪判決は、否定されぬまま残った.

第四次請求の課題

この間、2002年3月、再び小野康人氏の遺族により、第四次再審請求が行われた.

新証拠として提出されたのは、小野氏の予審終結決定書や細川論文である.

第二次大戦前の日本には、予審制度があった. 公判前に強制捜査権をもつ予審判事が取り調べる制度である.

残存する小野氏の予審終結決定書では、富山県泊(とまり)での宴会が「共産党再建準備会」に仕立てられ、そこでの決定にしたがってマニフェストとしての細川論文「世界史の動向と日本」が掲載されたのだということがるる述べられていた.

ところが、残存する公判での判決書では、他の分部は予審終結決定と一字一句違わないのに、「泊(とまり)会議」に関する部分だけがすっぽりと削られている.

これはつまり、公判を前に「とまり会議=共産党再建準備会」が虚構だったことを裁判所自身が認めていたからにほかならない.

また、細川論文も、あわせて提出した現代史家の今井清一、荒井信一、波多野澄雄各氏の鑑定書を見れば、共産主義啓蒙論文などではないことがわかる.

こうして核心部分の泊会議と細川論文の虚構が証明されれば、横浜事件の構図全体が崩壊する.

このように第四次再審請求は、正面から横浜事件の虚構を証明し、それによって「無罪」を勝ち取ることを目標に定めていた.

「実質無罪」を求めて

ところが途中、先行する第三次に対し「免訴」の判決があり、やがてそれは最高裁で確定した.

第四次に対しても「再審開始」となることは当然予想される.しかし、結論が「免訴」となることも、避けられない.

つづく


⇒ 目次

第1次請求から22年!
ついに「実質無罪」

◆さる10月31日、横浜地裁は私たちの第四次再審請求に対し、「再審開始」を決定しました.

しかもその内容は、私たちが求めていた、横浜事件の内部にまでふみこんでその真実(権力によるでっち上げ)を明らかにしてほしいという要求に正面から応えたものでした.

(「横浜事件再審裁判を支援する会」会報 No.64 2008.11.20より)

⇒ 目次

第4次「再審開始」決定 横浜地裁の決定

平成14年 (た) 第1号 再審請求事件

決  定

住居 東京都(以下省略)
請求人 (亡小野康人の二男) 小   野   新   一
昭和21年(月日省略)生

住居 東京都(以下省略)
請求人 (亡小野康人の長女) 斎   藤   信   子
昭和24年(月日省略)生

上記請求人らの弁護人      別紙記載のとおり    

 亡小野康人に対する治安維持法違反被告事件について、昭和20年(1945年)9月15日当裁判所が言い渡した有罪の確定判決に対し、再審の請求があったので、当裁判所は、検察官及び請求人らの意見を聴き、次のとおり決定する.

主        文

本件について再審を開始する.

理 由 (別途 ─ サイト管理人)

平成20年(2008年)10月31日

      横浜地方裁判所第2刑事部

裁判長裁判官             大   島    隆   明   
裁判官             五   島    真   希   
裁判官             横   倉    雄 一 郎   


(別紙)

          弁 護 士         山  本  一  郎
            同           山  本  祐  子
            同           大  川  隆  司
            同           小  沢  弘  子
            同           佐  藤  博  史
            同           笹  森    学
            同           横  山  裕  之
            同           藤  田  充  宏
            同           竹  田    真
            同           木  村  文  幸
            同           米  澤  章  吾

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